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アレッサンドロ・ストリッジョ (作曲家) : ミニ英和和英辞書
アレッサンドロ・ストリッジョ (作曲家)[いえ, け]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作曲 : [さっきょく]
  1. (n,vs) composition 2. setting (of music) 
作曲家 : [さっきょくか]
 (n) composer
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

アレッサンドロ・ストリッジョ (作曲家) : ウィキペディア日本語版
アレッサンドロ・ストリッジョ (作曲家)[いえ, け]

アレッサンドロ・ストリッジョAlessandro Striggio, 1540年1592年2月29日)はイタリア後期ルネサンス音楽作曲家演奏家外交官。膨大な量のマドリガーレに加えて、劇音楽を作曲するとともに、その両者を融合させて「マドリガル・コメディ」の発案者となった。同名の息子劇作家となり、モンテヴェルディ歌劇《オルフェーオ》の台本作者を担当した。
== 生涯 ==
マントヴァ貴族の家系に生まれる。青少年期についての記録に乏しいが、青年時代にフィレンツェに行ったに違いなく、1560年ごろにはメディチ家に有力な縁故ができていた。1567年にメディチ家によって外交活動のためにイングランドに遣わされる。1560年代にはメディチ家のためにインテルメディオをふんだんに作曲し、宴席や表敬訪問などの国事に楽曲を供した。
1570年代になってもメディチ家のための活動を続けていたが、いくつかの史料から、フィレンツェから遠く離れるようになっていたことが分かっており、すでにミュンヘン所在のバイエルン宮廷とも多少の縁故ができていた(おそらくはバイエルン公家の婚礼のために作曲した40声のモテット《見よ、祝福されたる光が ''Ecce beatam lucem'' 》の上演のために、1度ならずミュンヘン入りをした可能性もある)。1570年代には、天文学者ガリレオ・ガリレイの父親ヴィンチェンツォとも親交を結んでいるが、フィレンツェのカメラータの同人であったか否かは定かでない。
1580年代になると、フェッラーラエステ家の宮廷とも関係を持ち、フェッラーラで晩年を送りながらも、依然としてメディチ家とも縁が切れてはいなかった。フェッラーラは、1580年代から1590年代にかけて、当時の前衛音楽の中心地であり、そのような環境下でストリッジョも、少なくとも1589年まで作曲活動を続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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